前回の記事【勇気の出し方は「足し算」①】は、こちらからお読みください ↓
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そして、彼は自分の生い立ちを話し始めた。聞き始めてすぐ、彼が見せる笑顔は、とてつもない苦労の上に立っているものなのだと、心底感じ始めた。
「僕がグアテマラに飛び出したのは、元々グアテマラに惹かれていたのもそうだけど、自分が高校生の時に亡くなったグアテマラ人の母の影響が大きいんだよ。」
彼の顔は笑顔を保ったままだったが、それを話始めてすぐ、明らかに目に重みが宿った。その変化を見て、彼の中で母の存在がどんなに大きかったか、先を聞く前に理解できた気がした。
「ドイツ人の父がグアテマラに旅行に行った時に、母と出会ったんだ。母はこのアティトラン湖のある民宿で働いていて、そこに父が客としてやってきた。
そこで父が、即一目ぼれしたらしい。スペイン語はまぁまぁ話せたけど、完璧ではなかったから、その穴を埋めるために毎日口説いたって(笑)」
「(笑)!お母さんはちなみにどんな印象持ってたの、その時?」
「ほら、ドイツ人ってお堅いイメージじゃん。だから、その毎日喋りまくってきた父を見ていて、「世界で一番喋るドイツ人だなぁ」くらいに思ってたらしい(笑)」
「(笑)!お母さんも面白い!」
「父はドイツに帰国してからも、いちいちアティトラン湖近くの花問屋に連絡して、母に花を贈ったり。母だけじゃなくて、その母にも花を贈ったり(笑)
彼はあるレストランの雇われマネジャーやってたんだけど、3―4か月に1回休暇を無理やりとって、グアテマラの母を訪ねたらしい。良くクビにならなかったと思う(笑)
その後、2年くらいそんなやりとりがあって、母はドイツに行く決意をしたんだよね。」
「グアテマラからドイツって、すごい大移動だよね、地理的にも文化的にも。お母さん、何歳だったの?」
「25歳の時だったかな。もちろん、ドイツ語なんてこれっぽっちも知らなかったよ。ただただ父を信じて、ドイツに渡ったんだ。その時の気持ちを母に聞いたことがある。そしたら、こう言ってた。」
『もちろん、不安だったよ。いきなり勇気が出て渡れたわけじゃない。自分の家族も、彼がラテンアメリカ人じゃないっていうことで、騙されてるだけだ、やめておけ、って何回言ってきたことか。
だけど、あなたのお父さんの真摯で誠実な人柄にどんどん惹かれていって、その度に信頼も生まれていった。
そして、未知のものへ向き合う勇気をもらっていった。最初は、生まれも育ちも全く違うお父さんに対して、自分の心を開いていく勇気。次は、ドイツという異次元の国を知ろうとする勇気。そして、最期は私を心配していた家族に向き合う勇気。
そうやって、どんどん勇気を積み上げていって、最後にはドイツに渡る勇気にまで変わっていったんだよ。』
なんて強く、美しい生き方をした人だろう。
私は、自分の腕に鳥肌がたつのを感じた。現代は嘘みたいに国を移ることが簡単になっているけど、その当時のハードルは想像もつかない。そして、今のような情報社会じゃない分、自分の道筋をたてていくのも、大変だっただろう。しかもグアテマラだったら尚更だったはずだ。
いや、待てよ。だからこそ、自分の心の声に向き合う時間が持てたことで、勇気の階段を上っていけたのかもしれない。私達は「情報に惑わされる」とよく言っているけど、それは大いなる勘違いなのではないだろうか?自分の心の声が固まらないうちに、焦って情報を入手しようとするから、「惑わされる」のではないか?
特にSNSの世界では、自分よりも優れた技術や経験を持つ人が、現実の人間関係以上に大量にいるために、いつまでたっても「自分は優れている、技術がある」という実感が持ちにくい。
そして「自分も何かしなければ」と焦らされる。そして「他人に認められる自分」を作り上げていくことに必死になるあまり、自分の声を見失っていき、また余計に情報に振り回されてしまう。
その行為は、他人を軸にして円を描こうとするコンパスのようなものだ。どんなに綺麗な円がかけても、他人を軸にして円を描き続けていく限り、一生満足することはできない。
自分の心の声に向き合うのはしんどいし、情報に頼って「近道」を探す方が楽なように思える。しかし、その状態で情報を探しても、全部「正解」に見えてしまうだけだ。
会話の途中でグアテマラビールを飲みながら、少し脱線してそのようなことに思いを馳せていた中、クリスチャンは母がドイツに渡った後のことを話し始めた。
「彼女は本当に、本当に強い人だった。
全く未知の世界に来て、文化と言語に奮闘している最中に、僕を産んで。母がその時のことを語ってたことがある。子どもを産んだばかりなのに、自分が父の第二の子どもになってはいけない、って思って、辞書片手にどこでも自分で行って、なぜか全て解決できたらしい(笑)大変なことの方が多かったはずなのに、笑って語ってたよ。
そんな明るい母のおかげで、家はいつもいいエネルギーで満ちてた。父も独立してレストランビジネスを始めて、母も彼を手伝った。弟もできて、家は一層にぎやかになった。家族でグアテマラに度々訪ねることもできるくらい、ビジネスも軌道に乗って。何不自由ない生活だった。
そして全てが順調だと思ってた時、自分が高校に上がったばかりの時だったんだけど。母にすい臓ガンが発覚して、発覚から2か月で亡くなった。ショックというよりも、「無」だった。あんな強い母親が、こんなにもあっけなく亡くなるなんて。ただただ信じられなかった。
あの時こそ、人生不平等だって思った時はないよ。あんなにも見返りを求めず、人に与えることだけを考え、明るく生きてきた人が、なぜこんなにもあっけない終わり方なんだ?って。あそこまで苦労して、人生を自分の力で築きあげてきて、一番幸せにならなきゃいけない人の命が、なんでこんなにも簡単になくなってしまうんだ?って。
一家の支えだった母を失って、僕たちも自分を見失った。心に穴が開いた、とかのレベルじゃなくて、もうハチの巣の穴状態。父の消耗具合はこっちが苦しくなるくらいで、その穴を埋めるためか、一層仕事に明け暮れるようになった。だから、自分は幼かった弟のサポートを一生懸命した。
そんなある日、弟がぼーっとしてた後に、いきなり自分にこう言ってきた。
「お母さんは、グアテマラの天国に行ったんだと思う。お母さんが好きだった、グアテマラの美しさだけを結晶させて作られた、天国。そんな気がする。」
その言葉を聞いて、思い切り泣いたよ。何かが自分の中で決壊したかのように、泣いた。そして、グアテマラでの母との思い出が、一気に蘇ってきた。
グアテマラ各地を一緒に旅した時に、家族にその歴史を語っていた時の、母の幸せそうな顔。幼い時に、自分と弟がスペイン語を使って、現地の人と話してた時の、母の誇らしそうな笑顔。アティトラン湖沿いを家族で散歩してた時の、父を見る母の愛に溢れた眼差し。
母の人生は幸せと愛に溢れていた。彼女の人生は完璧だった。彼女の姿は、この世界から消えたけど、彼女が残してくれた『勇気をもって人生に挑み、愛と幸せを手に入れた姿』は一生自分の心に生き続ける。
本当に偉大な母を持って、それだけで自分の人生は完璧だ。そう思えて、悲しみじゃなく、初めて安堵で泣き崩れたんだよ。」
(次回へ続く)
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