足腰年齢84歳の挑戦 ~グアテマラ滞在記①~

突然だが、現在中南米のグアテマラ・アンティグアに三月中旬から滞在している。リモートで働く傍ら、スペイン語学習にこの先2か月励む予定である。

アンティグアはスペイン統治時代の名残りであるコロニアル風の街並みで知られ、その美しさはユネスコの世界文化遺産にも指定されている。街中キャンディーみたい。

毎日本当に快晴で、しかも標高のおかげで涼しく、非常に過ごしやすい。その雲一つない青空はまるで絵画の額縁のように、街中の全てを美しく見せてくれる。

そして学校だけではなく、日常でもスペイン語に触れようと思ったので、ホームスティ滞在を選択した。ホームスティ先のおばあちゃんのご飯はとてもおいしく、月~金、朝昼晩ご飯がついて月4万円という破格の滞在費。

そしてグアテマラの我が家での親友を紹介します。名前は「プーさん」。見よ、この腹。

「『となりのトトロ』のネコバスってこんな感触なのね」と勝手に決めつけながら、いつもなでなでしている。

グアテマラといえば、皆さん何を思い浮かべるだろうか。コーヒー以外何があるかわからない、というのが多くの人の意見だろう。しかし、本当に観光資源が豊かな国なのである。今後このブログでも色々お伝えしていきたい。

その観光資源の中でも有名なのは、活火山見学ツアーである。足腰年齢84歳の私は何を血迷ったのか、グアテマラ滞在初週の週末に、果敢にも泊りがけでツアーに挑んできた。標高3976メートルのアカテナンゴ山である。

【ツアー1日目】

朝集合した後、参加者17人が2組に分かれ、それぞれバスに乗り込み、出発。

出発後、皆でおしゃべりタイム。驚いたのはツアー客のバックグラウンドである。イギリス、パナマ、チリ、グアテマラ、スイス、ドイツ、フランス、中国、アメリカ、等。このコロナ下で、よくもまぁこんなに色んな国から集まったなぁと感心してしまった。

しかし国籍もさながら、その人生のバックグランドの多彩具合に更に驚いた。

多忙すぎる仕事に意味を見出せなくなり、人生の休息のために辞め、南米を周遊しに来たスイスの弁護士の女性。飲食業についているが、コロナの規制でこれから店が長い間閉まるので、フランスの国境が閉まる前に国を飛び出してきたフランスのカップル。グアテマラの大学でデジタルマーケティングを教える傍ら、インスタグラムで料理のインフルエンサーもやっており、これから首都のテレビ局で番組を持つパナマの男性、等々。

彼らのカラフルなストーリーを聞いていて、思い返した。なぜ自分は旅が好きなのか。

「グレーな気持ちを取り戻せる」からだ。

住んでいる世界が固定化されてくると、思考が「ブラックor ホワイト」になってくる。常識も固定化されてくるからだ。そうなってくると、「良いか悪いか」一つ一つの物事に対して判断を加えるようになってくる。

そしてその状態が続くと、自分の思い通りにいかないことに対して、不安や葛藤を抱くようになる。「良い人間にならないと」とプレッシャーも生まれる。他人と比較するようにもなる。そうなると、自己肯定感も失っていく。

しかし、旅に出ると、自分の生き方が「良いか悪いか」なんて考えるヒマがない。様々な人々の生き方、価値観が私に洪水のように押し寄せるからだ。このツアー客のバックグラウンドを見ても、あまりにも多様すぎて比較しようがない。

そう感じるたびに、「自分はこの大きな世界地図の、一つのミクロの点にすぎない」と痛感させられる。そして自分を判断をせず、「グレー地点」から客観的に自分を見つめることができるようになる。

人それぞれ顔が違うように、才能、目指すべき方向、居るべき場所、全てが違う。木や雲や空がそれぞれ違うように、私達は全く違った創造物なのである。なのに、私達は学歴、収入、貯金額、会社名など、世間の定規と自分を比べ、「あと何センチ足りない」などと嘆く。

「あの木があの雲になるためには、あの雲があの空になるためには、それぞれ何センチ足らない」と言っているのと同じことではないか?

そんなことを考えている間に、アカテナンゴ山の登山ルート入り口に到着。さあ、これから7時間の登山が始まる。ちびる。果たしてあゆみの運命は?!

(次回に続く)

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