常識のズレは言葉のズレより難しい

国際カップルで一番大きな問題は、“異文化コミュニケーション”です。掘り下げると、異なる文化で培った常識の違いから生み出されるズレが問題になることが多い、ということでしょうか。“外国語を話せる=異文化コミュニケ―ションができる”と一筋縄にはいかないのが、しんどいところ。“異文化コミュニケーション学”と学問になってしまうくらい、これは非常に複雑な問題ですね。

もちろんパブロと私も例外ではございません。こうなることも多々でございます。

つい最近の例を挙げましょう。先月のことです。パブロが“月末のちょっと前”から男友達と旅行に行くことは聞かされていました。

そして第1週目にパブロが我が家に遊びに来た時のこと。

パブロ 「あ、旅行のことなんだけど(・∀・)」

あゆみ  「はい、どうしました?」

そしたら何を言い出すかと思ったら、まじでいつものこのノリで

何を言うかと思ったら、

ウォルマート感覚でニカラグア・メキシコに行くこのエスパニョール!!( ゚∀゚)

高低差ありすぎて水力発電所作れるわボケェ!!( ゚∀゚)

冗談はさておき、「出張なら仕方ないけど、こんな直前にこんな長期の旅行を言ってさらっと行っちゃうなんて愛がないんじゃないの?」とカチンときた私。

あゆみ「何で“ちょっと前”が3週間前になるん??普通“ちょっと前”って数日前やない??しかも4日前に知らせる??親しき仲にも礼儀ありじゃないの??」

パブロ「ちょっと前、とは言ったけど、昨日友達と見たらチケットがすんごく安くなってたから買っちゃったんだよね・・・。世の中予定通りにいかないこともない?あゆみは色々一人で海外ちゃっと行ってるから、そういうことに対して抵抗感ないと思ってたんだけど・・・」

あゆみ「はぁ?そんな勝手に決めつけられても困るわ」

そして長々と言い合いがヒートアップ。お互い第二言語で話してるから、「いや、自分が言ってるのはそういうことじゃなくて」みたいな修正のし合いも多く、余計にイライラが増す・・・

あゆみ「ったく、まじで常識外だわほんまに!」

その時、パブロがいたって純粋に聞いてきたのです。

この言葉で、「は?何これ?これって付き合ってる仲だったら常識のことじゃないの?え?」と言い合っている間ずっとイライラしていた私は最終形態になってしまいまして、

こうなってしまいました、トホホ。

その後、ケンカが不完全解決のまま私はスーパーへ買い出しのため、外出。外の冷たい空気でだんだんと頭が冷静になる。

「あぁーあそこまで怒らなくてもよかったよな。怒ったら伝わるもんも伝わらないもんな。自分の常識と彼の常識のすり合わせが必要なのに、それを通りこして自分の常識の正義ばかり主張してたな。向こうも耳を傾ける気失せるわ」

自省ループ。そしてふと思いました。

「あぁ、私の常識って何だろう?」

その瞬間、ある記憶が蘇りました。小学校3年生の時の出来事です。隣の席の子が革のペンケースを持ってきていました。お父さんのお下がり、とかでしょう。

今の感覚だと、つい「小学校3年生が革のペンケースってませてる~」って思ってしまいますが、当時小学生3年生の私は、常識のじの字もない状態。なのでこのようなフラットな気持ちで見ていたのを思い出しました。

「なんかおもしろい筆箱だなぁ」

あぁ、こうやってフラットな気持ちで常識が違う人たちの生き方をおもしろく見れたら、どんなに怒りも減るし、自分が楽になるだろう?

しかし、さらっとできたら苦労はない。というか、ほぼ不可能じゃないか?

人間の悩みの9割は人間関係、そしてその人間関係の悩みというのは、各人が持つ常識の違いから来ていると思う。そして次に大きい将来の悩みにしても、世間の常識と自分の常識の違いからくるものだろう。

何千年も前に書かれた旧約聖書にも、「人間は自分と同じことをする人でなければ、好きになれないようにできている」と書かれているくらだ。この先何千年も人間は「常識」について悩むのだろう。

じゃあ、もう成す術はないんだろうか?

値引きの肉や卵をスーパーで籠にいれながら、うんうん考える私。

そして、清算を待っている間、あることが頭を過ぎり、はっとさせられました。

(次回ブログへ続く)

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