効率より『幸』率②

前回のブログからの続きです⇒


現代は、情報のスピードと量に圧倒される時代です。スマホを開けば絶え間なく最新情報が流れ込み、「追いつかなければ」と無意識に急かされているように感じることも少なくありません。1日に受け取る情報量は、江戸時代の1年分に相当すると言われるほどです。

そのため、私たちはいつの間にか「スピードが命、効率が命」という考えにとらわれてしまいがちです。例えばSNSを開けば、次々と「幸せ投稿」が流れてきて、周りがどんどん前に進んでいるように見える。そんな中で、自分が少しでも「遅れている」と感じると、焦りや不安に駆られ、自信をなくしてしまうこともあります。

でも、そもそも「遅れる」とは、一体何を基準にしているのでしょう?
私たちは、どんな競争に乗っかり、「遅れまい」と必死になっているのでしょう?
そして、その競争に勝った先に、何が待っているのでしょうか?

そんな中、私が尊敬する伊能忠敬先生のことを思い出しました。ご存じの方も多いと思いますが、彼は正確な日本地図を作るため、56歳から17年かけて全国を測量した方です。もともとは商人でしたが、50歳を過ぎてから天文学や測量学に情熱を注ぎ、自分より20歳以上年下の先生のもとへも熱心に通い詰めたそうです。

伊能忠敬 - Wikipedia

江戸時代の17年分の情報量は、現代のわずか17日分に相当すると言われます。当時の世の中のスピードは今より格段に遅かったでしょう。しかし、その「遅さ」の中で、彼は確実に前へ進んでいました。その一歩一歩は、誰かと競うためではなく、「知りたい」「極めたい」という純粋な情熱に突き動かされたものだったのだと思います。

「効率」ではなく、「自分が満たされる一歩を踏み続ける」=「幸率を保ちながら歩みを進める」ことこそが、後世に語り継がれる偉業を生んだのでしょう。

そう考えると、現代の「もっと早く」という価値観は、本当に「正義」なのでしょうか?

突き詰めると、「もっと早く」という想いは、承認欲求の裏返しなのでしょう。「もっと早く結果を出せば、他人が認めてくれる」「周りより先に成功すれば、価値があると思ってもらえる」——そんなふうに、知らず知らずのうちに、他人の評価を基準に生きてしまっているのではないでしょうか。

しかし、身をすり減らして手に入れた「1番」は、その瞬間こそ満足感を与えてくれるかもしれません。でも、それは一瞬のこと。すぐに次の競争が始まり、また新しい「1番」を求め続けることになる。それでは、いつまで経っても心は満たされません。

自分が最大限納得して「幸率」を高めながら踏みしめる一歩一歩で得た結果こそ、本当の意味での「1番」なのだと思います。誰が何と言おうと、自分にとっての「最高の選択」を積み重ねることができれば、それこそが揺るぎない人生の正解なのではないでしょうか。

何を選び、どんな道を進むのか——それを決めるのは、誰でもない自分自身。

その積み重ねが私達の人生の色を決めていく。

その指針として、私はこの問いを大切にしながら歩んでいこうと思います。

「この選択は、私の幸率を上げているだろうか?」

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