シカゴホットドッグから通天閣のおっちゃんを思い出した

シカゴと大阪は姉妹都市だ。シカゴに住み慣れてきた頃にそのことを初めて聞いた時、非常に納得してしまった。シカゴも大阪も立派な都市だが、サイズ感が大きすぎず、小さすぎない。食の街。家賃が安い。地元愛が強い。

そして先日、仕事の合間にシカゴホットドッグを久々に昼食がてら食べながら散歩していた時に、そのことをふと思い出した。ちなみにシカゴは、マクドナルドの数よりホットドッグ屋の数の方が多いらしい。シカゴスタイルの代表的な特徴の一つとして、「ケチャップ断固使用禁止、マスタードのみ」という掟がある。

シカゴホットドッグ

しかし、シカゴに引っ越してきた当初、全くそれを知らなかった。初めて野外のお店で注文をして、カウンター横にあったトッピング棚からケチャップを取り出そうとした時のこと。その店員のリアクションが、まぁ大阪・新世界の思い出にダブったのなんの。

大阪には、大学院のため2年間滞在していた経験がある。周りの女子が「スイーツ食べに行こ~っと☆」と言ってる間、私は「女は黙って串カツだろ☆」とよく通天閣界隈に一人で行っていた。串カツなんて大阪のどこでも食べれるんだけどね。でもあのカラフルな街に行くと食欲が刺激されて、余計おいしく感じたのだ。

しかし行く度に、私の心を串カツ以上に鷲掴みにしていたもの。それは、あの界隈に集まるおっちゃん達。

私の趣味のひとつに人間観察があるが、通天閣のおっちゃん以上に面白い対象を見つけたことが正直ない。面白さで言ったら、個人的にディズニーランドの比ではない。

比べるなって?いや、よく見て下さい。共通点あるじゃないですか。

記憶に残るどのおっちゃんも甲乙つけがたい。しかし一番笑えて、一番励まされた、あるおっちゃんは殿堂入りだ。

そのおっちゃんと遭遇した日のことは、今でも鮮明に覚えている。一人で通天閣をバックにして歩いていた時のこと。向こうからそのおっちゃんが歩いてきた。酔っ払いながら、一人で爆笑しながら歩いてくる。普通の女子なら避けるだろうが、私は「これは笑いのニオイがするぞ」とますます注意を向けた。

そしてすれ違いざま、いきなりおっちゃんが叫んだ。

「なんやこれぇ!!」

私は振り向きながら、彼の次の言葉を待った。そして聞いた瞬間、もう爆笑する以外に道はなかった。

一通り爆笑し終わった後、周りを見てみた。昼間から居酒屋で飲んで食って大笑いしているおっちゃん。昭和の歌を口ずさみにながら、ごみ袋を持って歩いてるおっちゃん。白鶴を片手に、一人で路傍に小さい碁盤を出してうなっているおっちゃん。

ここにいるおっちゃん達は、世間の常識からしたら「落ちこぼれ」なのかもしれない。

しかし、彼らはいつも楽しそう。誰でも苦悩はあるし、彼らもそれがあるからこの場所に来てるのかもしれないけど、なんか知らんがいつも楽しそう。

そして思った。

自分が幸せなら、その幸せが他人にとって意味を成さなくても良いんだよな。

私達は、自分が幸せを求めて何かやろうとする時、他人の承認を得て、自分の幸せが間違っていないか確認をする癖があるように思う。

確かに自分の幸せを突き通すことには勇気がいる時もある。

しかし、人間いつ死ぬかわからない。

そして、死ぬ時に「他人が思う幸せを生きてきて、自分の幸せを生きてこなかったな」と思うこと以上に怖いことはない、と個人的に思っている。

だからいつも「他人軸」に幸せが縛られているなぁと感じた時、私は時々この通天閣おっちゃんのことを思い出す。そうすると、通天閣が揺らぐくらいの「自分軸」を持つ勇気を笑いと共にもらえている気がする。

日本から6000キロ離れたシカゴにまで勇気を与えるこの影響力、是非新世界のおっちゃんらには大統領選でトランプを打ち負かしてほしいものですね。それでは皆さまご機嫌よう。

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