いよいよ登り始めた。
中国人参加者のグループと、首都にある肉まんと餃子のおいしい店の話をしていたせいか、なかなかの良い歩き出しである。肉まんと餃子で盛り上がれるアジア人の絆、最高。ヨーロッパ連合ぶっ潰す。
しかし1時間ほど経った頃だろうか。悪名高き、その登山道の傾斜が私の足腰を襲ってきた。足腰年齢推定84歳だったが、一気に金さん銀さんレベルに。
出典https://livedoor.blogimg.jp/fgta9/imgs/8/c/8cef0126.jpg
どんどん皆から遅れる私。傾斜が続き、しかも岩がごろごろしていて、呼吸のペースが乱れに乱れまくる。どんどん皆が見えなくなる。優しいガイドのホセ君は隣りで「少しずつで良いよ」と言ってくれてるが、情けなくてますます疲れてくる。トホホ。
お姉さんのハートをくすぐる可愛い笑顔のホセ君(18歳)
情けないながらも、ホセ君と道中、スペイン語・日本語講座を楽しむ私。日本人の女の子の口説き方が知りたいと言ったので、教えてあげた。
そのやりとりに楽しくなってきた私は、「まぁ無理なもんは無理」と、開き直って皆に追いつこうとするのは止めた。その代わりに、道中の景色を休み休み楽しむことにした。
この大自然に完璧に差し込む太陽の光が本当に美しくて、「あぁ地球って本当に神様のプラモデルなのかもしれない」、と何回もホセ君と立ち止まりながら、浸った。
そして、やっとの思いで八合目のキャンプ地に到着。あまりの遅さに皆に「道を間違えたのか」と心配され、「先に頂上まで間違えて行って戻ってきた」と呼吸も整わないままギャグを返す。空気の綺麗な場所で人を笑かすと、心なしか笑い声も倍に聞こえ、勝手に満足した。
そして目の前にそびえ立つ火山。やっとたどり着いた安堵で思わず座り込む。煙をもくもくとあげている光景を見ていると、興奮でこっちまで熱気を帯びる勢いだ。
ピースしてるけど、この時もう足ガクガク
それは他の皆も同じで、興奮に包まれながらお互い写真撮影大会が始まった。そして、次の瞬間!!
目の前に噴き出るマグマ、そしてゴジラが現れたかのような地鳴り!!
地球の壮大さを五感で感じ、思わず涙が出そうになった。特に夜の噴火は、マグマの輝きが本当に美しく、宝石があふれ出しているかのようであった。
そして、朝。
朝4時に起き、頂上へ2時間かけて登頂。真っ暗闇の中、でこぼこ道を寝ぼけ眼で向かう。眠すぎて、自分が何をしようとしているか良くわからない。もちろん私はまた最後尾。頭に付けたライトとでこぼこの道を見て、「自分は炭鉱夫なのだろうか」と錯覚してきた。
そして頂上に到着し、日の出を皆と座って待つ。この炭鉱道のような道を、皆と切り抜けた後の太陽の光はとても鮮やかだった。本当にまぶしかった。
そして、キャンプ地へ戻り、朝ご飯を済ませ、下山開始。皆で昨日の写真を見せあいながら、和やかに歩き続けた。
その間、前日、私がキャンプ地に着く前にテントを皆で楽しく張っている写真を見せてもらった。むっちゃ楽しそう、いいなぁ早く着いて混じりたかったなぁ。
私が休み休み登山中に撮った写真も見せた。それを見て、仲間の一人がこう言った。
「うわ、綺麗!自分も登山中の景色をもう少し堪能すればよかった、うらやましい!」
その時思った。
あぁ、そうか。
速い速度にしか見えない景色、ゆっくりの速度にしか見えない景色がある。そこに優越なんか存在しない。人生も同じだ。
デジタル化が進み、情報が簡単に手に入り、マルチタスクが良いとされるこの時代。結果もすぐ求められる。周りの流れの速さに焦り、「自分も何かしなきゃ」と余計に荷物を背負い、無理に追いつこうとしてしまう時が私もある。
しかし、他人に追いつくための人生でも、他人を喜ばすための人生でもない。自分の人生は、自分の幸せのためにある。
顔が各人違うように、それぞれの才能も違い、進むべき速度も違い、幸せの定義も違う。お金をたくさん稼ぐこと、幸せな家庭を持つこと、世界を色々旅すること、百人いれば百通りの幸せがある。どれも正解である。
自分の幸せは、自分が一番気持ちが良い呼吸と歩幅のペースで進んでいく先に見つかるものだ。呼吸が乱れたら休めばいい。そして戻ったら、また歩き出せばよい。
人生はレースではない。昨日より今日、今日より明日、とそれぞれの山でより高みを目指していく登山であると思う。
そう信じて毎日を生きていけば、寿命を全うして頂上に達した時、素晴らしい景色が私達を迎えてくれることだろう。その頂上までの旅を、私はただひたすら楽しんでいこうと思う。人間に生まれた特権は、好きなだけ自分の人生をおもしろくできることなのだから。
ありがとう、アカテナンゴ山。希望に満ち溢れながら、最高の仲間と共に無事下山し、帰路についた。グアテマラからは、今後もたくさんのことを教わりそうだ。
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