神社での不思議な出会い、そして誓い

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そんな時、

池のほとりを掃除していた、作業服のおじさんと目が合いました。

私「あ、こんにちは」

たぶん、業務委託で来ている清掃員なのだろう。

おじさん(以下:爺)「今日は寒いねぇ」

その短い一言で、彼の全てを包み込むかのような人格を感じた。

私「そうですねぇ、特に最近は」

爺「よくここに来るの?」

私「あ、はい。小さい頃から馴染みがあるので、いつも来ると落ち着きます。」

爺「私もね、いつもこうやって池を清掃していると心が洗われるんですよ。」

私「そうなんですね、今までこうやってお会いしていなかったのが不思議です。」

爺「そうですねぇ。もしかしたらお互い前に会っていたけど、気付かなかっただけかもしれませんねぇ。」

その後、地域の小学校の話や、神社の歴史など、色々話を始めた私達。そして、話は「なぜご神体は鏡なのか」という話題になった。

おじさんは「諸説あるけどね」という前置きの後、以下のように説明してくれた。

日本は古来から「八百万の神」(やおよろずのかみ)という自然界のものすべてに神が宿っている、という考え方があった。それ以外にも、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さが「八百万の神」たる所以。

そして、私達人間も自然の一部であり、神様の一部なのだ。だから、参拝の際にご神鏡に自らの姿を映すことによって、自身に内在する神の力を思い出しなさい。それが、自らの願いを切り開く原動力となり、他の神もお力添えをしてくれるのだ、と。

出典:神社施設名称用語辞典

私は感動して、鳥肌がたった。

ありえなくないか?

無力感に苛まれて神社を訪れたタイミングで、こんな話を聞けるなんて。人生に脚本でもあるのか?

私は感情の高ぶりのあまり呼吸が荒くなるのを感じた。そしておじさんは、こう続けた。

爺「神道に教典がない、ということはどういう意味だと思う?」

私「こうあるべき、という教えがない、ということですかね?」

爺「そう。だから神道には善も悪もないんです。それがずっと日本人のDNAに受け継がれていると思う。」

私「そうか。昔の七福神信仰なんか良い例ですね。ヒンドゥー教、道教、仏教が混ざってますよね。バラバラな価値観の良さを取り入れ、感謝する。今も、大晦日は寺、初詣は神社、結婚式はキリスト教式も取り入れる。こんなの日本くらいですよね。」

私「善と悪がなかったら、何が日本人の正義だったんでしょうね。」

爺「神道をはじめ、書“道”、華“道”、茶“道”、と日本には“道”がつくものが多いよね。」

私「はい。極めるもの、って意味ですかね?」

爺「私が思うに、書道は、文字の美しさを追求する芸術。華道は四季の花々の命をいかに美しく魅せるか追求する芸術。茶道はいかに美しい所作・環境で客人をおもてなしできるか追求する芸術。」

私「美しいか、美しくないか」

爺「そう、それじゃあないかな」

その瞬間、敬愛する吉田松陰が牢獄で記した言葉が脳裏を過ぎった。

「楽しみの人に於ける、在らざる所なし。山楽しむべく、水楽しむべし、居楽しむべく、行楽しむべし。富楽しむべく、貧楽しむべし。生楽しむべく、死楽しむべし。」

(人はどこだって楽しめる。山でも海や川でも楽しめる。住んでいるときも、旅をしているときも、富んでいるときだって、貧しいときだって楽しむことはできる。生きていても死んでも楽しむことはできる)

出典:萩市観光協会公式サイト

これだ。これが私が人生をかけて追求したい美だ。

私は武者震いを感じた。

爺「そろそろ日も落ちるし、掃除も片付いたから、ここで私は帰りますね。お話できて楽しかったです。またお会いしましょうね。」

私「はい、またお話できるのを楽しみにしています!」

そう言って、おじさんは境内に停めていたトラックで去っていった。私も興奮冷めやらぬまま、帰路についた。

その晩、部屋でおじさんとの会話の余韻にまだひたっていた私。そんな時、たまたま目についた江戸時代の日本についての書籍を手にとり、ページを開いた。

そこには幕末に日本を訪れた、欧米人達の手記の抜粋が収められていた。

「人々は幸福で満足そうだ」(アメリカ海軍司令官・ペリー)

「この民族は笑い上戸で、心の底まで陽気である」(フランスの冒険家・ボーヴォワール)

「日本人ほど愉快になりやすい人種はほとんどあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子どものように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである」(スイス駐日領事・リンダウ)

厳しい年貢の取り立てや、封建制度があったにも関わらず、なんでこんなにも皆笑顔だったんだろう。

その時、前述の吉田松陰による「人はどこだって楽しめる」という言葉が、頭を再度過ぎった。

「そうか。どんな厳しい状況の中でさえも、楽しさを見つける能力に秀でていたからだ。」

そして、私は誓ったのだった。

「吉田松陰の言葉のように、“人はどこだって楽しめる”という美を、生涯私は追求しよう。いかなる状況の中でも楽しみや学びを見つける“見方道”を、自分の生き様で証明したい。

それをブログで発信し続けよう。それで「世の中、実は楽しいことがいっぱいあるんじゃないか」と人生観が変わり、1人でも多くの方々が毎日を明るく生きられるようになれれば、この上ない幸せだ。

幕末のように、海外の日本人から再び「笑顔で溢れる日本人」と称賛される時代への、超極小な一歩にでも、私はなりたい。」

あのおじさんは、神様のギフトだったのかもしれません。「諦めるな、お前にはやるべきことがある」というメッセージを伝えるために、私の前に現れてくれたのかもしれません。そう信じて、私はこれからも書き続けます。

こうやって、ブログを通して皆さまとお会いできたことに感謝します。 これからもよろしく!!良い年越しをお過ごしください!

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